社会福祉法人木犀会は茨城県内の高齢福祉施設、障がい福祉施設の運営を行っています。
社会福祉法人木犀会「茨城県 福祉」

「茨城県 福祉 木犀会」花と果実

もちの木作業所 ☆One Story☆

2015.07.28

今回は、知的に障害のある男性利用者様が、自分の体験や経験をもとに、支援スタッフまたは他の利用者様からの尊敬と信頼を受け、ご本人様が自信と生きがいを見出した支援プログラムをご紹介します。

 平成26年6月6日。某施設機関を経て、もちの木作業所の利用を始めました。彼は、社会生活経験も十分にあり支援区分的にも軽い障害でした。ただし、年齢がご高齢なことや身体的機能の低下がみられ、当初私たちスタッフは、他の利用者様とスムーズな関係を築き、生きがいを持って仕事に取り組んでいけるかどうか、多少の心配がありました。
 個別支援計画においても、本人の得意なことを活かし、できる仕事に取り組んでいけるよう支援の目標を定めました。

 私たち支援スタッフは、本人様とのコミュニケーションを図るにつれ以前就労していた職業を知り得ました。様々な職種を転々としていたようですが、大工の仕事には自信があったようです。
 そこで私たち支援スタッフは、長靴置き場の下駄箱を作成して頂くことにしました。それは、支援の目標に対して、本人がどこまで取り組むことができるか、また、得意なことに対してどれほどのスキルを持っているかを図るためでもありました。
 彼は、自ら図面を描き設計図を作成しました。そして、支援スタッフと共に必要な木材と器材・工具を購入し作成に取り掛かりました。材木の切断の際には電動のこぎりを使い正確に切断し、組み立ての際には電動ドリルを使用し丁寧に強度を考えるなど、まさに「職人」のようでした。
 そして、この作業中に彼は、とても生き生きとした姿でした。周囲の利用者様からの熱い視線と励ましの言葉、支援スタッフからは尊敬の声と驚き。彼は、毎日通所するのが楽しみのようで、自信に溢れていました。

 その後、彼は約半月をかけ見事に下駄箱を完成させることができました。彼は、久しく関わることのなかった大工仕事ができた喜びと周囲からの尊敬を得ることができました。そして、このプランをきっかけに得意なことに再度自信を持ち、自身ができる仕事を見つけることができました。それからというもの、事業所のフェンスに材木を使った目隠しを作製してくださったりと、自主性や積極性も見られるようになりました。

「都」はどこに? ・・・花水木 岩瀬館・・・

2015.07.19

 昔から住めば都と言いますが、長年住み慣れてくると『家よりもずっといい所だ』とお世辞にもおっしゃってくださるご利用者様もおられます。
 今年86歳を迎えられる中野様は、昨年の9月1日に入所されました。それまでは敗血症で県立中央病院に2ヶ月近く入院されていらっしゃいました。若い頃より、ガソリンスタンドや食堂を経営され、ほとんど休みもとらず働き詰めでいらっしゃったとの事。心臓や前立腺の持病、そして脊柱間狭窄症の手術も受けられ、腰の痛みもお持ちでした。
 退院された当初は、歩行が不安定な為、車椅子でお過ごしでしたが、ご本人の歩きたいという意志は大変強く、自ら一人で歩こうとされて尻餅をつくこともありました。転倒による骨折が心配された為、私たち職員は注意深く見守ることを大前提にしながらも、お一人で歩行することができるよう配慮した身の回りの支援・介護を誠心誠意続けさせて頂きました。
 やがて、車椅子をやめ歩行器をご使用になり、フロア内をご自分で操作して移動できるようになり、11月に入る頃には、杖による歩行や身の周りのこと、そして歩行訓練を日課とされるまでに回復されました。
 そんな折、ご本人より「家に帰りたいんだが・・・」というご相談がありました。ご家族からも「歩けるようにもなった為、家でみてあげたい」というお話しを頂き、職員や他のご利用者様が別れを惜しむ中、11月30日にご自宅に戻られました。
 それから7ヶ月後、中野様をご自宅にお尋ねすると、それはそれはお元気なお姿を拝見させて頂きました。日中は奥様と過ごされ、時にはご自宅の隣にあるガソリンスタンドで店番をされることもあるとの事。先ごろは、消防署よりガソリンスタンドの永年無事故の表彰も受けられたとの事で、たいへん充実した毎日をお過ごしでした。施設からご自宅に戻られ、しかもそれを継続できる事例はとても少なく、また貴重なことでもあります。
 岩瀬館での3ヶ月はとても短いものでしたが、中野様がこうしてご自宅に戻られ幸せにお暮らしになっていることに、少しでもお力をお貸しできたことは、私たち職員にとっても大きな喜びであり、誇りにもなっています。
 住めば都とは言いますが、ご家族のいるご自分の『家』以上の『都』はないのではないかと、つくづく感じると共に、それでも尚、ご利用者様が岩瀬館をご自分の『家』と思っていただけるよう職員一同力を尽くしていかなければいけない、そんな想いを頂いた中野様ご自宅への訪問でした。

ひまわり館〜心あたたまるエピソード2〜

2015.07.16

『私たちは人々を真に愛し、ハピネスに繋がる喜びと感動の為に、最善を尽くします。』
これは、私たちひまわり館の運営理念です。本日は、まさにこの言葉にふさわしいエピソードをお送り致します。
 年齢76歳になる、H様。ひまわり館に通い始めて1年半になります。在宅での期間が長く社会と関わる機会が少なかった方です。通所開始当時より、ご本人様には『夢』がありました。『海が見たい、水族館に行きたい』という『夢』です。今まで76年間、実際にご自分の目で海を見たり、水族館に行った事が無かったのです。その『夢』を叶えようと、私たちは個別計画に『様々な活動や経験をする』という内容を盛り込み、その為にはどうすればいいのか・・・と話し合いを持ち、実行に移しました。歩行訓練、排泄訓練、食事の工夫や補助の方法、日々の励ましの声掛けなど細かい支援を行い『夢』の実現に向けて進んで行きました。1年半1度も休まず通所して頂いていましたが、急遽、体調不良により1か月の入院。ADLの低下が心配されました。ご本人は入院中も、『海が見たい、水族館に行きたい』と何度も話をされていたそうです。私たちも決して諦めることなく、実現するための方法を考えました。平成27年7月11日(土)快晴の空の下、『夢』が叶ったのです!皆様と一緒にアクアワールド大洗に行きました。ご本人様の活き活きした表情、前向きな行動、全てにおいて『喜びと感動』を感じる事が出来ました。積み重ねてきた支援と諦めなかった心が実を結びました。支える援助、同時に私たちも利用者様から支えて頂いています。そして、ご本人様よりこんな言葉がありました。『ひまわり館は俺の家族みたいなもんだよ・・・。』  H様の素晴らしい果実が、ひとつ見事に実りました。  私たちは本当に幸せのもです。

出来るようになったこと(ケアホームたじま)

2015.07.03

ホームに入居したK君の姿。
 入居当時は気を引きたくて、であろうイタズラ(他の利用者様の居室に入り込んだり、廊下の電気をつけたり消したり、ティッシュを大量に取ってしまう等・・・)が多くありました。また、髭を剃ろうとすると逃げ回り剃れる状態ではありませんでした。
 そこで、居室に朝と夕の日課表を壁に貼り、一つ一つ支援員や世話人さんと繰り返し支援を行ってきました。見通しが立つことにより髭も剃らせてくれるようになり、洗濯の干し方も毎日の積み重ねで出来るようになりました。ホームでの生活も安定し食事の充実、職員との信頼関係の構築の中で次第にイタズラも減り、お喋りが多く感情表現も豊かに、顔の表情も明るくなりました。今では、テーブルを拭き、食器運びなどの手伝いも率先して行い、育てている野菜の水かけ等のお手伝いをしてくれたら「ありがとう」の言葉を重ねる事でイタズラも減って来ています。職員が髭を剃り忘れていると「髭剃ってないよ」とK君から教えてくれるようになりました。「忘れないでよく言えたね!」と、褒めることで自信もついてきたようです。時々、気に入らなくて口が尖ることもありますがこれも感情表現が豊かになったしるしです。これからどんどん成長していくK君の今後が楽しみです。

夢への第1歩! (ケアホームかすみ)

2015.07.03

 小児脳性麻痺による肢体不自由がある21歳の女性で、年金が貰えるようになったらグループホームに入りたい。との希望を持っていた方で、昨年ケアホームかすみに入所された方についてお話させて頂きます。
 念願だったケアホームかすみへの入所となり「調理がしたい」「資格を取りたい」「東京タワーを階段で上りたい」等、様々な夢や希望がありました。
 個別支援計画では「調理がしたい」点に着目し、目標も食材を切る事からはじめ、最終的には料理の行程をほぼ1人で行えるようになりたい。と、ご本人と相談して決めました。
1回目の調理実習では、野菜(キュウリ)のカットに挑戦しましたが、思うように切る事が出来ず悔しがっていました。2回目には、包丁のサイズを小さくしたり、切る時の姿勢を工夫する事で、前回よりは目標に近い大きさにカット出来るようになりました。しかし、試食してみると「これじゃ、食べにくい」と少しがっかりしていましたが、目標に向けて頑張る意欲も見せてくれました。
 ケアホームに入り、夜の時間の過ごし方が分からない。との相談がありましたが、調理を始めてからは、野菜のカットのイメージトレーニングをしたり、メニューを考えたりで、夜が楽しくなった。との言葉も聞かれるようになりました。
 1つの目標は小さい物ですが、1つずつクリアーして行く事を繰り返しながら、最終的には大きな目標である「調理がしたい」に繋げられれば良いと思います。

手芸クラブ再開により (ケアハウス悠)

2015.07.02

 ケアハウス悠で3年お過ごしのM様は、入居当初、ご家族が亡くなられたばかりのショックにより何も手につかない状態で、たいへんさびしそうなご様子でございました。職員の声掛けにもほとんど答えることもなく、家族に呼び出しの電話をし、あちこち痛いと言い、病院に通う毎日でございました。


その当時、人事異動により配置されたH職員が手芸、園芸、体操等にたいへん詳しく、それまで閉鎖していた、手芸クラブや園芸活動を再開することができました。


H職員が、M様の居室に伺い、根気よく手芸クラブにお誘いしました。M様も最初は「私は行かない」等と断っておりましたが、何度も尋ねるうちに、「見てるだけ」と会場に足を運ぶようになり、最初のうちは少し様子をみてすぐ居室に戻ってしまいましたが、H職員の優しい人柄や本人も手芸等に興味があったこともあり、徐々にクラブ活動に参加するようになり、色彩豊かな小物やしおり等を他の入居者様とお話しをしながら作成するようになりました。このクラブ活動に参加するようになって、ご本人からご家族への連絡も徐々に少なくなり、病院への通院も激減しました。継続してクラブ活動に参加することにより、職員や他の入居者様と笑顔でお話しをするようになり、たまに冗談を言ってまわりを笑わせるまで回復してきました。


 心の中のさびしさやつらさはすぐに解消できませんが、職員の優しい声掛けと、少しでも癒す時間、紛らわす時間(クラブ活動等)を提供することにより、M様の心の安定を図れたようで、ほんとうに良かったと思います。これからも継続して支援し、少しでも心の支えになって行こうと思います。


 


 


 


 


 


 

コナンキッズ:お水を飲めるようになったA君

2015.07.02

コナンキッズには偏食を理由に尋ねてこられる方もたくさんいらっしゃいます。


A君は3歳の時に自閉症スペクトラム(当時は広範性発達障害)と診断されました。
小さいころから偏食がひどく、自分の食べられるもの以外を食べさせようとすると
泣き叫んで食べることを拒否したり、吐き出したりしてしまっていたようです。
保護者様が一番困っていたのは水やお茶を飲めないことでした。
水を飲ませようとしても吐き出してしまうのですべてジュースなどの清涼飲料水で水分を補給してきました。
無理やり飲ませようとすると本当に嘔吐をしてしまうこともあったようです。

A君と保護者様は小学校に進学する時になってジュースの持ち込みができないということを告げられ夏の脱水症の心配をされてコナンキッズを尋ねて来られました。

アセスメントをしていく中で
水で歯磨きをしている。
プールやお風呂は大好きである。
ガラガラうがいができるということがわかりました。
これらのことからきっと水が飲めるようになるだろうと予測が立ったため
水を飲む練習をお母様と一緒にやっていくことになりました。

はじめに、一滴の水を口に入れ、飲み込む練習から
時間をかけて少しずつ口に含み飲み込む水の量を多くしていきました。

おうちでも毎日練習をしてもらい
3ヵ月後には見事コップ一杯のお水を飲めるようになりました。
その後のお話では小学校では蛇口から直接水を飲むこともできたと
保護者様からご報告を受けました。

子育てや療育はスタッフとご家族が一緒になってやっていくものだと考えます。
ご家族だけでもスタッフだけでも難しいものだと思います。
今後もご家族と協力しながら
子供たちの未来に向けた支援に取り組んでいければと思います。

プライバシー保護のために事例の本質を損なわない程度の改変を行い
同じような問題を抱えたお子様の事例を複数混ぜて掲載しております。

(今回の事例は専門的なアセスメント・方法に基づいて行っております。安易に真似をされますと逆に偏食を強めてしまう結果になることがあります。ご理解ください。)

想い出の花 (花の郷)

2015.06.30

 花の郷では、ご利用者様お一人お一人が今までにない活き活きとした表情を見せて頂けるように、ゆっくりと落ち着いた雰囲気の中でご利用者様と関わりを持つことを支援・介護指針の一つとしておりますが、この一環として少人数の小さなグループによる外出行事も行っています。
 6月は、ご利用者様の「思い出巡り」を企画致しました。紫陽花の綺麗な「保和苑」への散策のあと、それぞれのご利用者様の「想い出」の機会を作り、少しでもその人らしく元気な暮らしの継続ができるようにと考案したのです。
 この中で、施設ご利用1年以上となるN様。思い出の場所は「常盤神社と赤塚方面」。外出されたN様との会話の中から、『常盤神社はご主人とのお見合いの場所で、「ここで話が決まったんだよ」という話』や『赤塚は実家があった場所で「ここから嫁に行ったんだ」と楽しそうな話』をされ、普段は聞けない思い出のお話をお伺いすることが出来ました。
 N様は外出することが好きで、こうした機会を通して活き活きとした表情を取り戻すことを期待した企画でしたが、N様にとってはそれ以上に想い出を回想することや、そうした思いを話されることで気持ちが晴れ、穏やかに生活を送ることができる一助になったことと思います。
 今後も引き続き、N様はもとより、ご利用者様お一人お一人の気持ちに寄り添った支援の一つとして取り組んでいきたいと思います。
 

ケアステーション モリヤ 〜働ける喜びを知って

2015.06.30

 本人へのインタビューより・・・


 私は50代の女性で記憶障害があります。モリヤに6年間通ってから再就職してもう2年8ヶ月経ちます。モリヤに通い始めのころは、記憶障害が強くてすぐに忘れてしまい、自分一人では何もできない状態でありましたが、支援員・家族と二人三脚で少しずつ問題をクリアーして行きました。モリヤに通った6年間というのは私にとっては短い期間に思えてなりません。


 今では、自分で料理も作るようになり、お弁当(5ヶ月前から自分で作って)も持参で仕事に行っていますし、ケアステーションモリヤで始めたメモリーノートを今も続けており、仕事のことや夫に言われたことなどメモを取って見返しています。また、自分の体調を考えて仕事を会社と調整することもできるようになりました。しかし急に落ち込んだりすることあるので、家族がさりげなくフォローしてくれてありがたいです。


2年以上も仕事を続けることで目標としていた孫へプレゼントをあげることが出来ましたし、これからもモリヤの支援員と家族に支えられて、好きな仕事を続けていきたいと思っています。


※脳に障害がある場合は、根気よく訓練を続けることでゆっくりと機能を回復する場合がありますので、時間をかけて職場や家庭でも見守ることが大切です。ケアステーションモリヤでは、就労後も定期的に相談や職場との調整などの支援を行っています。

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